気まぐれ日記 2018年4月

2018年3月はここ


4月1日(日)「新年度早々・・・の風さん」
 もう一つの新年……と言うより新年度か、が始まった。
 桜は満開で、天気も好い。今世紀に入ってから、自然災害が頻発しているが、これから当分の間、気候は普通であって欲しいと思う。
 心機一転、作家に軸足を置いてと思っているが、これだけ天気が好いと、屋外作業をしないわけにはいかない。
 午前中にルーチンの雑務を終え、インスタントラーメンのランチ後、先ず、屋内のチェンジ。洗面所のセラミックヒーターを片付けて、床下収納の中を入れ替えた。これでよし、と。
 着替えて屋外へ。今日の狙いは裏の土地にある物置の中の整理だ。棚を増設する前に、内容物を移動させた。そして、空の茶箱を1つ解体した(ブリキの内張りを外した)。まだ茶箱は3つあり、衣類等が入っている。次の課題だ。おっと、その前に、一番上の茶箱の上にゴキがのっていた。仕留めそこなうと行方が分からなくなるので、ゴキジェットを持って来て噴射した。ところが、ピクリとも動かない。死んでいるようだ。箒で外へ掃き出したが、地面に落ちてもそのまま。化石のようだ。
 再び屋内に戻り、風呂掃除をした。例によって疲れてしまい、1時間ほど昼寝。実に気持ちよい。
 コーヒータイムの後、書斎に行って、新しい名刺の印刷と贈呈用のDVDの追加製作をした(5個)。途中で美浜の塩も買いに行って、明日からの京都旅行の準備はほぼできた。

4月2日(月)「高校以来の新京極?・・・の風さん」
 一昨年の秋以来の京都行きだ。ワイフと一緒。あの時は、過労のせいか風邪をひいていて、京都で風邪を治して帰ってきた。
 10時にキャメロンで出発。こんな時刻に出発するのは僕らくらいだろう。何をやるのものろい夫婦だ。
 いつものように御在所SAで最初の休憩。50分走って40分の休憩になってしまった。これも僕らのペース。
 大津SAに寄ってマックでランチ。京都に入る前に延暦寺の根本中堂にでも寄ろうか、と話し合っていたが、早くも時間がなくなった……ので、中止。
 今夜の宿は、会社の契約保養所である。そうでなければ、こんな桜の季節に予約できるわけがない。例年より開花が早いので、市内の桜はもう散り始めている。その保養所を利用するのも2回目なので、ナビの指示通りに安心して向かった。予定よりだいぶ早く2時半ころ着きそうだ。
 ところが、それから大事件が勃発。ナビは狭い道を案内し、目的地に近付いても、一方通行などあって、たどり着けないのだ。ワイフは「以前と違うコースだよ」と言う。強引にナビの指示通りに狭い道に突撃したら、そこは新京極だった。
 今から40年以上も前の話だ。高校の修学旅行は関西訪問で、京都にも宿泊した。夕食の後の自由行動で、部屋で酒を飲んだ後、新京極へ行きパチンコをした。とんでもない旅行のように思われるかもしれないが、現代に比べたらかわいいものだろう。それ以来の新京極である。
 喜んだり懐かしんだりしている場合ではなかった。歩行者天国のアーケードの中をキャメロンで突き進んだのだ。
 詳細は書かないが、親切な若者がいて、脱出の方法を指南してくれた。無事に一般道へ出られたが、生きた心地がしなかったと言ってよい。
 道路わきにキャメロンを止めて、再び目的地をチェック。ワイフのiPhoneが示すポイントとナビのゴールが明らかに違っていた。ナビの操作は、電話番号⇒宿泊場所名⇒目的地に設定だったが、目的地の登録住所が間違っていたのだ。そこで、ナビの操作を、宿泊場所の住所⇒目的地に設定に変更したら、ワイフのiPhoneと同じ場所がゴールになった。
 結局、到着したのは3時半で、1時間も京都市内のあるスポットをぐるぐる回っていたことになる。
 チェックインしたが、私は疲れて1時間横になった。これで、また次のスケジュールを中止。
 4時半過ぎに、宿を出て、鴨川河畔をぶらぶらと歩いた。京都らしいところだ。花粉の飛散を感じない。
 町の中へ戻って、高瀬川のほとりのイタリアンレストランで休憩。それから長男のアパートへ行って合流して3人でおばんざいの店へ地下鉄で向かった。
 長男がお世話になった漫画家のすがやみつるさんと約束していた店に7時に到着した。
 ここで10時まで歓談した。偶然だが、長男が京都精華大学に在学していたとき、すがやさんの指導も受けていた。しかし、すがやさんは私の長男だとは卒業するまで知らなかった。もちろん、わたしも長男がすがやさんの指導を受けていたとは知らなかった。だいぶ遅くなってしまったが、今夜はお世話になったお礼の一席のつもりだった。
 10時まで高密度な歓談をし、すがやさんの人生に圧倒された。わたしとよく似た考え方で生きてこられたのだが、わたしのはるか上を行くご活躍だった。
 途中まで地下鉄を一緒して別れ、やっと宿に戻ったときには、疲労困憊していた。

4月3日(火)「外国人だらけの伏見稲荷・・・の風さん」
 今日はもう自由に観光して帰るだけ。まだ二人とも行ったことがない場所にしよう、ということで、最初の目的地は伏見稲荷と先週から決めていた。
 普段通りに起床して、朝食を摂りに行った。洋朝食を頼んであったのだが、おばんざいのバイキングもどうぞ、と言われ、それらも少しずつゲットした。洋食もおばんざいも京都らしく少量ずつにして楽しんだ。
 一昨年に来たときよりもサービスが向上している気がした。
 早くもお土産で荷物が増えていた。でも、キャメロンで来ているので、まったく問題なし。
 チェックアウトして、キャメロンで出発。京都市内は路上駐車が多くて走りにくい。こういう時は小さなキャメロンは便利だ。それでも、昨日の新京極走りを思い出すと、冷や汗が出るし、精神的な疲労を思い出す。
 平日なので、観光地は空いていると思っていたが、伏見稲荷に近付いたら、急に渋滞になり、人通りも増えた。当然、道は狭い。伏見稲荷の駐車場にうまく入ることができた。無料である。それにしても観光客があふれるほどいる。キャメロンを降りると日差しがきつかった。暑い。観光客の多くは半そでである。半そでTシャツを持って来るのだった。
 大晦日、除夜の鐘の生放送で有名な伏見稲荷だ。そして、千本鳥居。すごい数の観光客。その流れにのって、少しずつ進んでいくと、観光客のほとんどが外国人だと気付いた。ただし、中国人の団体客というわけではない。団体客らしいのは一つしか目撃しなかった。会話している言葉を聞いていると、英語や中国語の他に、分からない言語がいくつも含まれている。着物を着た女性を何人も見かけるが、たいてい外国人だ。レンタルなのだろう。金髪碧眼の女性もいて、髪をアップしていて、着物がよく似あっている。着物の柄がすごく映えているというか、センスが良い。彼女らの選択センスかレンタルショップのセンスか分からないけれど、十分鑑賞に値する。
 外国人が多くても、お行儀の良い観光ぶりで、政府のインバウンドへの期待を初めて理解できた。もしリピーターが増えているのなら、日本全土がディズニーランド化するのかもしれない。
 伏見稲荷を経験している義妹の情報では、境内を全周するのは大変で断念したとのことだったので、わたしたちも熊鷹社で引き返した。富士山でいえば、五合目か。ワイフは御朱印、私もお守りなどお土産も買えた。
 駐車場横の稲荷神社の附属施設内に食堂があったので、そこで昼食にした(わたしは稲荷寿司)。昭和時代の田舎の食堂みたいなところで、外国人にはそこにレストランがあることが分からないのだろう、中は日本人ばかりだった。
 続いて、平等院へ向かった。相変わらず日差しは強い。少し離れたコインパーキングに駐車した。
 ここも観光客が多かったが、伏見稲荷ほどではなかった。外国人には地味に見えるスポットだろう。
 藤原時代に作られた国宝は重厚で、鑑賞するほどため息が出る。タイムスリップした気分になれる。江戸時代はちょっと以前という感覚があるが、このあたりの時代になってくると、想像の領域を超えている。正直に言えば、不勉強ということだが。
 長女が急きょ用事があって帰省するという連絡があったので、ここでは最後に抹茶とバニラのミックスソフトクリームを食べて撤収することにした。
 昨日から何度も自動給餌機にアクセスしてカメラで餌箱の中をチェックしていた。偶然ちび助がカメラの前に現れることはなかったが、無事らしいことを確認できて便利である。私たちより先に長女が帰宅すると、ちび助が甘えるに違いない。
 帰りは京滋バイパスのインターから高速にのった。まだ日は高い。途中、2回休憩して、お土産も買って、午後8時前に帰宅できた。
 すぐに近所の中華料理屋へ3人で晩御飯を食べに行った。混んでいて、しばらく待たねばならなかった。
 満腹になり、買ってきたお土産を食べることはできなかった。

4月4日(水)「花粉症で苦しむ・・・の風さん」
 昨夜は爆睡したが、寝坊をしているわけにはいかなかった。
 今日は週一のリハビリに加えて、8週間に一度の内科受診である。早めに行かないと帰りが遅くなる。
 それに、今日は、シルバーさんに庭の樹木の剪定をお願いしてあった。
 当地の桜は今が満開らしい。京都より1週間近く遅いが、それでも例年より少し早い。
 何とか順調にスケジュールをこなし、近所のホームセンターへ行って買い物もした。
 そこからGSへ回って、午後1時過ぎに帰宅した。シルバーさんの仕事は順調に進んでいたので、労をねぎらった。わたしより年上なので、毎回頭が下がる。
 昼食は午後2時過ぎ。
 京都はそれほどひどくなかったのに、帰宅したら花粉まみれになった。猛烈な花粉症を発症し、薬を飲んでもほとんど効果なし。こうなるとぐったりしてしまい、早起きしたこともあり、ソファに横になった。爆睡。
 夕方になって起きたが、まるで元気が出ない。今日の活動はもう断念だな、と弱気になる。ワイフの花粉症もひどい。
 今夜の晩ご飯は手巻き寿司だった。色とりどりの具が用意されていて楽しかったが、花粉症がその楽しみを半減させた。
 家での用事を終えた長女を午後10時過ぎに、ワイフのアクアで名古屋まで送った。帰りは深夜になったが、高速道路が空いていて走りやすかった。過疎地へ帰ってきたという気もする。
 花粉症に加えて首まで痛くなり、薬を飲んで早めに寝ることにした。新年度は明日からだな。

4月5日(木)「今日も花粉症で苦しむ・・・の風さん」
 花粉症のせいで、今日も元気が出ない。強力な薬を飲むと、その副作用で、さらにぐったりするので、室内加湿とアレルギーの薬だけである。
 午前中にルーチンの雑務をしただけで、早くもグロッギーだ。
 卵かけご飯の高速ランチを済ませて、真剣に昼寝状態に。
 夕方になって起き出したが、意識がもうろうとしている。同じく花粉症のワイフの姿が見えないので、きっと長女の部屋で昼寝しているのだろう、と静かに行動していたら、玄関が開いた。ワイフだった。買い物に行っていたとのこと。私と違ってタフだ。超人だ。
 今日は身辺整理や屋外作業をパスし、小説のプロットを考えた。主舞台とは違う、もう一つの重要な舞台の情報が手に入った。一方、県図書で調査すべき項目も出てきた(所有している資料の中に欲しい部分がなかったから)。
 今後、雑務や身辺整理のペースを落として、小説に注力せねば……。

4月6日(金)「急げ、小説のプロット・・・の風さん」
 しばらく続いた好天が、昨日の午後から下り坂で、今日は午後にも雨になるらしい。
 屋外作業は中止にして、午前中に床屋へ行くことにした。しかし、社会人になって以来利用している店なので、半日仕事になる(汗)。
 朝食後すぐ出発し、小雨が降り出した昼食時間帯にやっと帰宅した。
 今日も、卵かけご飯の高速ランチ。
 そのまま疲れて昼寝は、昨日と同じパターンだ。ただし、花粉症はおさまっているので、復活は早そうだ。
 それでも2時間寝て、さあ仕事、と思ったら電話がかかってきた。町の電器屋さんからで、エアコン設置のために書斎を見に来るという。大慌てで書斎を片づけた(笑)。
 書斎は元々物入れの設計だった。4畳半ほどの広さしかない。築後に書斎にしたので、小型のクーラーを設置した。そのまま28年が経過し、よく働いてくれた。しかし、これからのことを考えると、いつ故障するか分からないし、暖房は石油温風ヒーターなので、給油が面倒になってくる恐れがある。
 そして、家の北側の整理と美化のことも合わせて考えたかった。老後対策も含めて良い機会なのである。
 電器屋さんが来て、すべて相談できた。長女の部屋の壊れたエアコンの撤去も合わせてお願いした。
 まもなくワイフも帰宅。「クーラー、壊れるまで使えばいいのに」ときついコメント。
 さて、執筆準備、と思ったら、メールでセミナー依頼がきた。わたしがやれそうな内容に企画してあり、男気を感じるタイプのわたしは受けざるを得ない。しかし、過密スケジュールになる日程で、これも課題だ。
 夜になってようやく執筆準備を再開できた。小説のプロットを考えるための作業だ。
 色々なデータがつながってだんだんプロットになっていく。
 午後から小雨模様だったので、今日は、花粉症が楽だった。

4月7日(土)「老骨に鞭打ちつつ・・・の風さん」
 雨はほとんど上がったが、気温が低い。数日前までの陽気が嘘のようだ。
 長女が応募して当てたソナポケのトークイベントを見るため名古屋へ出かけるワイフを駅まで送った。イベント後にソナポケからバラの花がもらえるという。忙しい人はますます忙しくなる。ワイフも同じようだ。
 午前中に雑務を片づけながら hairdye もした。やっと疲労が抜けて、今日は体調がいい。
 お昼は定番の卵かけご飯の高速ランチ。おかずはたくあんだけ(キムチがもうない)。飲み物は白湯。ヘルシー!……かな?
 屋外作業ができる天気ではないので、小説のプロットを考えながら資料読みを再開。何年も前に手に入れた資料で、非常に役に立つ。とは言え、こうやって勉強しながら、現地取材の必要性がどんどん増してくるのを感じる。当初は、桜の開花に合わせて現地取材をする予定だった。今となっては、ネット情報と想像力に頼るしかない。あるいはフィクション。
 暗くなってワイフが帰宅。本当に家にいない人だ。
 こうして毎日老骨に鞭打って頑張っているが、スポーツの世界の若い人たちの活躍には心からエールを送りたい。なぜなら世界で通用する活躍だからだ。あらゆるジャンルの若者たちが、世界を意識して頑張ってほしい。

4月8日(日)「寒い1日・・・の風さん」
 最近早起きするようにしている。目覚ましのタイマーも早めにセット。しかし、今朝は、昨日からさらに気温が下がった感じがした。目は覚めたが、すぐには起きなかった。
 昼までに、ルーチンの雑務をほとんど終了させた。その間に、風呂掃除も終了。やけに寒い日だが、今シーズンの灯油暖房は基本的に終了なので、給油セットもすべて片付けた。
 昼食は久しぶりにインスタントラーメン。体があたたまって気持ちいい。
 必要があって、熊本市内のホテルの料金というか、安く泊まれるかどうか調べた。定宿のチェーンホテルは決して安いことはなく、泊まったことがないホテルで安いところをいくつか見つけた。
 昨日に続いて、資料読み。新しい事実が次々に出てくる。当然、追加調査が必要、となるのだが、現地取材か遠くの図書館へ行くしかない。ためておいて、どこかでまとめて実施することになるだろう。
 夕方、ワイフが僕らの結婚式の写真を持ち出した。今秋、長女が結婚する予定なのと、僕らの結婚式に来てくれたワイフの親戚が先週亡くなったからだった。写真を見て当時を懐かしむだけでなく、わたしはあれからの35年間に思いをめぐらす。時代もそうだったが、自分の性格が常に全力疾走を自らに課してきた。そのために、多くのことを見逃して来たような気がするのだ。もっとのんびりしてきてもよかったのではないか、と。
 これからどう生きるか。答えは簡単には見つからないだろう。しかし、考えることだけは必要だ。

4月9日(月)「今日は執筆準備お休み・・・の風さん」
 昨日よりもさらに早起きした。明日は8時発の飛行機で熊本へ飛ぶので、徐々に早朝モードに体を慣らしているのである。
 さらに今日は、明日のための準備にかなりの時間を割くことにしていた。
 とは言え、午前中は最小限のルーチン雑務をこなした。
 昼食後、外の仕事もした。ATMで現金をおろしたり、振り込みをしたりした。ポストへの投函も。郵便物の投函は意外と面倒だ。自宅近くにポストがないわけではない。クルマで回りながら投函しようとすると、どこで投函するか迷ってしまう。ポストのある場所と駐車スペースのことを考えると、ついでの場所があまりなく、結局、帰って来た時、自宅近くのポストに投函することが多い。投函した瞬間、うしろめたさを感じてしまう。何となく、自宅から歩かずにクルマで投函しに来たような感じがするからだ。
 体を動かすと、少し気分が前向きになる。その勢いで、裏の土地へ出動し、電動草刈り機で雑草を少し刈った。早くもナイロンカッターがなくなった。
 その後は、明日の準備で、熊本大学へ事前に送った資料を、まとめて読み返した。それから、空いている時間の熊本市内での過ごし方の検討だ。熊本は初めてなので、やはり熊本城へ行こうと思った。しかし、2年前の地震で石垣が崩れたため、今でも復興工事中で、敷地内には入れそうもないのだが。
 就寝前に、熊本大学の情報をネットで入手した。以前調べたときとは違う情報がたくさん得られた。

4月10日(火)「とんぼ返りの出張気分・・・の風さん」
 5時半起床。もう外は明るい。
 準備は万端。キャメロンでセントレアへ向かった。
 大学への手土産を購入し、手荷物検査を受けて、待合室へ入った。秋田便などが出る遠い場所である。でも、時間的には余裕しゃくしゃくで、缶コーヒーをゆっくり飲んだ。
 飛行機も秋田便と同じDHC8−Q400のボンバルディア製だ。プロペラ機には安心感がある。定刻の8時に離陸した。体調もよく、機内で文庫も読めた。
 約1時間半のフライトだが、熊本空港が近付くと、眼下に阿蘇山がくっきりと見えた。最高の観光日和だ。
 リムジンバスで熊本市内に直行した。通町筋で降りて、市役所へ向かった。14階に展望ロビーがあり、熊本城が一望できるのだ。確かに敷地内は工事中で、観光客の姿はない。天守閣も色々な機材でおおわれていて、本来の雄姿を見ることはできなかった。しかし、展示してある写真や説明を読んで、見学した気分は味わえた。
 敷地内には入れないが、付属の観光施設、桜の馬場「城彩苑」はオープンしているので、そこへ歩いて行った。天気が好くて、まるで初夏のような陽気だ。暑いくらい。「城彩苑」は、食堂と土産物ショップなどが集まっている。先週の京都とまるで違って、観光客はわずかだ。ぐるっと回ってから、赤牛肉の丼でランチにした。
 バスで熊本大学へ向かった。黒髪キャンパスの先ず北側へ入った。レンガ造りの五高記念館を見るのが目的だったが、補強工事のためだろう、鉄の骨格で支えられていた。キャンパス内は新入生だろう、多くの学生で活気があった。
 国道を渡って南側のキャンパスへ入った。こちらにも赤レンガの建物があった。古い建物を大切にしているのは好感がもてる。伝統のある大学だという感じだ。
 今日の用事は、これも重要文化財に指定されている古い建物である本部内でおこなわれた。
 約2時間の密度の高いスケジュールだった。
 用事を終えて、再びバスで通町筋へ向かい、アーケード街のカフェで休憩した後、リムジンバスで空港へ向かった。
 空港では予定していた土産物をたくさん買い、秋田の友人と京都の知人にも送った。
 ラーメンで軽く夕食ということにし、手荷物検査を受けて待合室で時間をつぶした。
 すっかり暗くなった時刻に、またボンバルディア機に搭乗し、セントレアへ向かった。
 キャメロンで帰宅したのは、午後10時半過ぎだった。
 とんぼ返りの出張気分だった。

4月11日(水)「先のわからない人生・・・の風さん」
 今日も天気が好い。週一のリハビリだが、最近、肩がさらによく回るようになった気がする。
 帰りにホームセンターで買い物をした。また、いつもの生活に戻っている(笑)。
 帰宅して、昼食後、急いで雑務をこなしているうちに、身辺、状況変化があった。
 今日は夕方本山キャンパスへ行く予定だったので、非常に慌ただしくなった。
 バタバタと準備して、駅まで歩いた。通い慣れた本山へのルートだが、何となく気分が低調だった。
 少し早く本山に着いたので、UFJのATMを操作したのだが、後で、まるで意味のないことをしていたことに気付いた。来週やり直すことになる。
 本山では郵便物を受け取ることにしていたのだが、期待していたものが届いていなかった。しかし、今となっては不要と判断してもよいので、衝撃はなかった。
 田村先生と合流し、近くの居酒屋へ行った。
 実に3時間も飲み食いしながら情報交換した。大野先生亡きあと、田村先生は愛工大における最大の私の心の支えなので、今日会う約束をしていて本当によかった。やはり先生というのはありがたい。
 終電で帰宅した。
 朝から出かけていたワイフに、今日起きたことを打ち明けたら、驚いていた。
 人生とは本当に先のことがわからないものだ。

4月12日(木)「古いラジオが復活・・・の風さん」
 午前中、リフォーム会社が来て打ち合わせをした。今年は屋根と壁の塗り替えをやる。築後2回目の塗り替えなので、1回目と同様にイメージチェンジをする。今回は、私の希望で基本色を決めた。
 今日は、営業用の色見本ではなく、本物の塗料を塗ったサンプルを持ってきてもらい、屋外で日光の下で色具合や周辺とのマッチングをチェックした。やはり営業用の色見本と違っていて、納得のできる組合せを選択できた。
 午後、裏の土地に出動し、物置の中の茶箱の整理に取り組んだ。前回に続いて、また1つ茶箱を分解した。2個の茶箱を捨てる用意ができたので、次のステップに入れる。
 晩ご飯は、京都の知人が送ってくれたタケノコを使ったタケノコご飯とタケノコの天ぷらで、兄貴からもらった山梨のぶどうを使った日本酒もどきお酒を飲んだ。最高のご馳走だった。
 就寝前に、茶箱を整理した時に出てきたラジオを鳴らしてみた。
 FMでジャズの懐かしのヴォーカルナンバーが流れてきた。素晴らしい音質で、ビックリした。学生時代に購入したものかもしれず、だとすると、もう40年以上も前のものだ。ズバリSONY製で、デザインも良く、さすがと言わざるを得ない。
 ここ数日で、これから数年の人生が大きく変わる可能性があったが、それは消滅した。
 一方で、かつて自分が、そして亡き母が愛用したラジオが復活した。
 やはり人生は不思議な展開をする。

4月13日(金)「屋外整理が進展・・・の風さん」
 まだ疲労が残っている気がするが、今日は屋外作業がメインだ。明日から2日間雨の予報なので、頑張らねば。
 アクアを裏の土地へ回し、分解した茶箱を2つのせた。物置がスッキリした。
 クリーンセンターへ行った。ちょっと久しぶり。金属と木に分けた茶箱を持参したのでほめられた。他に細々したリサイクル品と燃えるゴミをそれぞれのブースでてきぱきとおろした。燃えるゴミのところは屋内焼却場で、非常に臭かった。働いている人たちのご苦労に頭が下がる。
 続いてホームセンターへ行き、物色してあったスチール製の棚を購入した。高価だが、物置の整理用だ。
 今度は全く逆方向になるが、自宅と反対方向へ走って、アクアに満タン給油、そして自動洗車。そこからさらに違う方向へ走ってショッピングセンターでレギュラーコーヒーの粉を購入。
 帰宅し、とりあえず組立前の箱入りの棚を物置へ入れ、てきぱきと後始末。
 昼食におにぎりを食べて、1時間弱、横になった。このへんのペースをつかんでいるのが、ボケ老人でも仕事ができるポイントだ(笑)。
 もう3時なので、作業できる服装にかえて、裏の土地へ出動。
 時間がかかったが、棚を組み立てて物置の中に設置。主屋にもたれかかって、錆びて廃却を決めた物置の一つから、すべての荷物を裏の物置へ移動させた。さらに、電動草刈り機に新しいナイロンカッターを取り付け、それら一式も物置へしまった。着々と準備してきたことが、構想通りに進展していくので、気分は上々。
 何度も書いているが、老人の仕事のペース配分は、亡き恩師、大野先生から学んだものだ。
 恒例の5時からの我が家のもぐもぐタイムも、時刻のズレはあるものの、これも亡き恩師、畑中先生(東北大学大学院時代の教授)から学んだものだが、ご機嫌で終了。
 当初、今日は、ポートメッセなごやで開催中の展示会を見学に行き、講演も聴講する計画だった。それが、身辺の状況変化(と講演の無料聴講券が届いていなかったこと)により、必要性が低下し、中止したために、逆に雑務が大きく進展したのだ。こうしてみると、やはり私は自分に過負荷をかけ過ぎているのかもしれない。 

4月14日(土)「雨模様のはっきりしない日・・・の風さん」
 どんよりした空模様で、ぽつぽつ雨が落ちてきそうだ。天気予報は午後から明日の昼にかけて雨。
 午前中、ルーチンの雑務をたらたらやっていると小さな地震があった。
 昼食は昨夜の残りのパンときのこのスープ。ぜいたくな気分だ。
 午後になっても、本格的な雨にはならない。伊勢湾とはいえ海に近いせいか、内陸と天気が異なることが多い。
 相変わらず気合の入らない雑務を続けているうちに、また地震があった。中学校時代の新潟地震、大学院時代の宮城県沖地震そして東日本大震災と3度の大きな地震を身近で体験した。今週はたまたま熊本市を訪れ、2年前の地震の傷跡が今も深く残っている様子を熊本城で目撃してきた。いつ起きてもおかしくない東海地震だが、何とかならないものだろうか。
 イマイチ気合が入らないので、気になっていてできなかったことを……、とiPhone(私のはこだわりのSE)のコンテンツを調べたら、これまでずっと入っていた(入れてあった)英会話の録音がない。PCのiTunesを使って簡単にインストールできるのだが、やっていなかった。社会人学生になった10年前に研究活動に必要だろうと様々な英会話CDを購入した。それらである。
 すぐ復元できると思って始めたら、ご丁寧にiPhoneのバックアップから始まった。結局、1時間以上もかかったが(私はほとんど何もしていない、待ち続けているだけ)、元通りになった。これなら音楽ソフトも入れられるな。
 待っている間に、GAYO!でルパン三世エピソードゼロを観た。臭い三文芝居みたいだが、エンタメの基本ストーリーとして勉強にはなる。
 就寝前にやっと気合が戻り、執筆準備を再開した。外はしっかり雨になっている。

4月15日(日)「雑務の先に・・・の風さん」
 昨夜の雨はほとんど上がっていた。しかし、地面が湿っているだろうから、今日も屋外作業はなし。
 いつもの朝食後、風呂掃除をした。屋外作業も屋内作業も、半分は運動のためでもある。
 続けて、ルーチン雑務。ルーチン雑務の中には、趣味の英語がある。クイズ形式の勉強ソフトは、数分で終わる。記憶が苦手でも何度もやっていれば、少しずつ覚えられる。音声が出る問題も多く、耳の訓練になる。もう一つは、ネットで聴くプレゼンテーションだ。洋画と違って、一人の人がしゃべり続けるので、次第にその人の発音の癖に慣れてくる。これも耳を慣らす方法だ。
 久しぶりにキムチで卵かけご飯のランチ。その後、しばらく体を横たえる。年金生活者のメリットだ。
 書斎のビジネス本の棚の整理をした。必要性が低くなった本を小さな段ボール箱に詰め、あらためて書棚の分類を見直した。空いたスペースに蘭学関係本を並べた。ここの本はまだ使い道がある。去年の『ひらけ蘭学のとびら』で完了ではないからだ。
 ついでに、復活したSONYのラジオを窓側に設置した。ネットで調べたら、このラジオは1982年に発売されたエポック的機種らしい。35年前の製品だ。今でもネットオークションに出ているし、ジャンクショップでも買えるらしい。レア物ではないが、それなりの存在感がある。
 夕方から元気が出て、執筆準備からプロット作成に進んだ。とりあえず今は、幕末物とだけ書いておこう。

4月16日(月)「屋外作業週間・・・の風さん」
 今週は天気がよさそうなので、屋外作業を集中的にやる予定だ。
 朝食後、キャメロンで出動。シニア割引のドラッグストアでまとめ買いした後、GSで満タン給油。現役時代と違い、だいたい月に1回満タンにすればもつ。今月は京都へ行ってきたので、ペースはくずれたが、次は1か月後だろう。
 午後は、自宅の屋外作業だ。軍手をはめて、隣家との境界に生えている雑草(主にスギナ)をむしった。電動草刈り機でやると刈った草が隣の敷地に飛び散るので、手でやった。なるべくひどい状態にならないうちに手を打つことがポイントだ。
 続けて、物置(大)から裏の物置へワイフの屋外活動用品を移動させた。物置の中身を改めて整頓しながらやったので、時間はかかったが、信じられないくらいスッキリしてきた。
 今日のルーチン以外の作業としては、最後に、台所周辺にゴキ駆除用の毒エサを設置した。1年間効果があるという(賞味期限が1年間というエサなのだろう)。今日、草むしりをしている時に、ゴキの乾いた死骸を見つけた。でかいヤツ。昨年設置した我が家の毒エサのせいで死んだのか、ありがたいアシダカグモの餌食になったのかは不明だ。
 執筆に絶対必要な書籍がまた見つかった。古本屋に発注した。先週発注した古本はまだ届かない。

4月17日(火)「雨にたたられた屋外作業・・・の風さん」
 朝刊を見たら、週間天気予報が変わっていた。今日の午後から明日の昼まで雨である。
 いつも午後実施していた屋外活動を午前中に変更した。
 朝食後すぐ裏の土地へ出動。雑草の雨後の成長のことも判断し、電動草刈り機できれいに刈り込んでいく。……と、あとわずかというところで、ナイロンカッターがなくなった。ナイロンカッターの補充は初めてではないので、急いでセット。ただし、不安定そうな空模様との競争なので、半分くらい巻いたところで、作業を再開。
 続けて、竹ぼうきで道路わきを清掃。これも時間との勝負だ。しかし、まだ昼まで1時間以上あるのに、雨がポツポツ降ってきた。まだやりたいことがあったのに……。最後の片付けを急いだ。
 ルーチンや雑務は夕方までかかった。
 苦笑したのは、屋外作業中にゆうパックが届けられたことで、不在連絡票がポストに入っていて、夕方再配達してもらった。そのときポストをチェックしたら、郵便物がどっさり入っていて、先週注文した古本が届いていた。昨日注文した本は、支払い処理を済ませたので、来週届くだろう。作家業も徐々にルーチン化してきた。
 外では雨がしっかり降り続いている。

4月18日(水)「すぐできることは・・・の風さん」
 今朝は8時までにミックスペーパーをゴミ集積場に出さなければならない。収集車の到着が早いので、のんびり構えていてはいけない。何週間分かのミックスペーパーが2袋になっていた。
 昨日からの雨はまだ上がっていなかったので、傘をさしながら、片手で2袋を持って歩いて行った。
 見知らぬ人とすれ違った。こちらの視線を外したまま行き過ぎた。目が合えば「おはようございます」と声をかけるのだが、できなかった。きちんとしたスーツ姿で、不思議な気がした。このへんの地理も不案内のような。
 午前中に急いでルーチンを片付けた。その間に雨が上がったようだ。
 昼前にリハビリの予約をしていたので、キャメロンで出発。晴れると、クルマの汚れが気になる。
 最近、五十肩の回復を実感するようになってきた。帰りに2ヶ所のATMに寄って、お金の移動をした。それから、ドラッグストアに寄って、調剤師に相談して皮膚の薬を購入。三河湾沿いのルートで帰宅。海は青く、干潮のようだった。
 すっかり晴れて、裏の土地の水たまりも急激に干上がっていくようだった。
 夕方、昨日できなかった物置のドアの汚れ取りをした。洗剤を含ませた雑巾で、ごしごしと洗った。来月、屋根や外壁がきれいになると、物置の汚れが目立つのは明らかだった。だから、前もってきれいにしておいた。
 続けて、月例の墓参にワイフと出かけた。毎月お墓に行って、掃除と供花の交換ができるのは、幸せなことだ。
 来年の児童書の企画が動き出している。参考資料を読んだので、その勢いで、企画書(案)を作成し、エージェントへメールで送った。すぐできそうになったときはチャンスなので、一気にやってしまう。仕事の鉄則だ。
 しかし、就寝がいつもより1時間近く遅くなってしまった。

4月19日(木)「物置の解体・・・の風さん」
 今日から晴天が週末まで続く。その初日の今日の予想最高気温は25℃らしい。築後すぐに設置した物置(中)の解体をするので、午前中から着手した。既に中身は空っぽだ。
 当時の記憶は残っていないが、組立の専門的見地から下から組み上げたと思う。と言うことは、解体は上からのハズ。そうにらんで、屋根の取り外しから始めた。すべてがボルト締付なので、それらをゆるめるのだ。本体はスチール(鉄)製で、だいぶ錆びているが、ボルト(プラスドライバーで締め付ける円形の頭のボルトである)の頭は全く錆びていない。どうもステンレス製らしい。しかし、本体が錆びているので、ゆるめるためには相当な力を必要とした。
 そうやって上から一つずつばらしていったのだが、かなりの腕力を使った。腕っぷしには自慢があった風さんだが、長期間筋トレをしていないので、すっかりなまっている。怪我をしないように気をつけるのも大事なので、時間がかかった。
 気温はどんどん上昇していったが、幸いまだ日陰の中だったし、うるさい蚊が発生する時期でもなかったので、作業は順調に進んだ。土台のコンクリートブロックも外して水道で洗い、日に干した。地面も整地した。ばらした鉄の部品はすべて裏の土地に積み上げた。後日、廃材業者に連絡して引き取ってもらうつもりだ。
 今日最大の仕事が午前中で完了したのは大満足だったが、体力を著しく消耗した。まだ、もう1つ、物置(大)が残っているのだが。
 夕方、爆睡に近い昼寝(約3時間)をした。
 執筆は進んでいないが、読書は少しずつ進んでいて、就寝時に読了したのが、今年18冊目になった。

4月20日(金)「忠太郎地蔵尊・・・の風さん」
 午前中に重要な雑務を片づけてしまおうと、先ず、キャメロンで出かけた。
 天気は快晴で、現役時代は社屋にこもっていることも多く、天気を気にすることが少なかったので、退社後は青空を眺めるたびに退社した実感がわいたものだ。
 役場の近くにUFJとJAのATMがあるので、そこで一気に、現金の引き出しから移動、振り込みまでやった。
 帰宅してから、リビングに置いてある書類のファイルを整理した。ここには、定年退社時に準備した多くの手続き資料や、その後の雇用保険(昔の失業保険)、年金の申請資料(私は61歳からだった)などがある。もう退社して4年になるというのに、60歳になる前に会社から受けた説明資料がファイルしてなかった。最近、それを再チェックする必要性が生じたのだ。昨日それが見つかったので、今日、あらためてファイリングの見直しをした。
 ちょっとだけ、と思ったのに、1時間以上もかかってしまった。こうしていると、また現役時代を思い出す。課長だったころ、ウィークデーは部下のリードと実務で超多忙だった。自分のやりちらかした仕事が、ファイルとして整理されておらず、土曜日に休出し、1日かけて仕事の整理をしていたことが多かった。マネジャーらしい仕事ぶりだった。現代はITが普及しているので、紙の書類は少なく、サーバー内にドキュメントが格納されているはず。それらの整理をあとでまとめてやることがあるのだろうか。たとえば自宅などで(会社のサーバーにアクセスして)。
 1時半を回ったところで、珍しくワイフからランチの誘いがあった。
 知人が経営しているピザ屋へ行った。いつもの席について、具たっぷりのピザを食べた。窓からは三河湾の青い海が見える。
 小説家として、私は長谷川伸の孫弟子であることに誇りを抱いている。長谷川伸先生の作品の中に『瞼の母』がある。子どもの名前は番場の忠太郎だ。番場宿生まれの忠太郎というのは、フィクションだが、蓮華寺に忠太郎地蔵尊がある。母と子のきずなは、永遠のテーマである。その地蔵尊が建立されたとき、長谷川伸先生も参列した。今年、その地蔵尊の建立から60周年になり、記念のイベントがある。私も微力ながらイベントを応援している。

4月21日(土)「ワイフと物置整理・・・の風さん」
 ワイフが協力してくれることになったので、主に物置(大)の整理をした。内容物を捨てるだけでなく、裏の物置へ移動したり、物置(小)の整理と合わせて調整もした。
 午前中で、今日の目標だった物置(大)の中を空にすることができた。捨てるゴミも大量に出たので、一緒にクリーンセンターへ行った。土曜日は午前中が受付時間なので、急がねばならなかった。ところが、今年度から土曜日は第2と第4しか受付しなくなっていた。気が付かなかった。これも人口減少が遠因にある。町で管理しているクリーンセンターだが、やがて維持できなくなる。ゴミ処理だけではないが、公共のインフラはどんどん不便になっていく。そうなると、また人口が減少する。これは日本の危機なのだが、多くの国民はスキャンダル騒動で盲目状態だ。
 ガッカリしてUターンしていたら、後続のクルマも同じ状況らしく、Uターンしていた。
 物置の整理はまだやることが残っていたので、昼食前にすべて片付けた。
 昼食にざる蕎麦を食べ、やはりその後、爆睡の昼寝をしてしまった(笑)。
 2日前に、知人から寄贈書が届いた。同じ日に2冊というのは珍しい。
 1冊は、会社の元同僚からで、『5ゲン主義 現場リーダーの心得』である。5ゲン主義といえば、会社の大先輩古畑さんが普及したモノづくり哲学で、「現場・現物・現実」の三現主義に「原理・原則」を加えたものだ。三現主義は、問題が起こっている状況をすばやく把握することで価値がある。ちなみに現実とはリアルタイムということで、処理されたデータを見たのでは本当に今起きていることは分からない。その三現主義に加えた二原とは、次のアクションのことである。問題を見て、あわてふためいて、トンチンカンな行動を起こすと、解決できないばかりか、かえって問題は深刻になりかねない。こういった失敗の事例はいくらでも見ている。
 その大先輩は残念ながら既にお亡くなりになった。私は社内では指導をいただいたことはないが、洋上研修でご一緒させていただいたとき、親しくお話をしてくださった。
 今回の本は、その5ゲン主義を現代にさらにマッチするように、御子息が書かれたものである。御子息とは会社で同僚だった。若いのに、志の高い方である。
 もう1冊は、楠木誠一郎さんの大人気シリーズ『ベートーベンと名探偵!』(講談社青い鳥文庫)である。いつものタイトル『○○は名探偵!』と違っている。ということは、ベートーベンは被害者か……それとも加害者? 自由闊達なストーリーはいつも参考になる。

4月22日(日)「物置解体と昼寝・・・の風さん」
 さあ、今日は物置(大)の解体だ。
 朝食後、9時過ぎから作業開始。物置(中)の解体で要領は分かっている。問題は、かたいネジをゆるめることができるか、だ。前回は腕力だけで頑張ったが、同じやり方では脳がない。ドライバーを押し当てて、握りのところをプライヤーではさんで回してみると……回る! 腕力が通じるということは、パワーをいかに効率よく伝達するかである。てこの原理というか、モーメントの利用で、あっさり解答にたどり着いた。
 ただし、図体が大きいので、部品の運搬は大変だった。
 約2時間の作業を終えて、ひと休憩した後、今度は週一の風呂掃除。
 屋外でも屋内でも、体を動かすことは軽トレーニングだと思っている。整理や片付けをしていると、少しずつでも景色がスッキリしてくるので嬉しい。なので、これら作業は、基本的に楽しみである。
 し、か、し、体力不足は否定できない。
 昼食を摂る気力もなく、そのままリビングのソファでダウン。
 3時間も寝てしまったわい(笑)。
 認知症が始まっている義父の様子を見るため、実家へ行っていたワイフが帰宅したところで、恒例のもぐもぐタイム。実家の義母の苦労が痛いほど分かる。とりあえずは、私がかつて福島県の母のところへ、特別介護休暇をもらって毎月通っていたように、ワイフを毎月送り出すことにする。
 執筆の方は相変わらずプロットの検討中である。意外と手こずっているが、粘り強くやるしかない。

4月23日(月)「家の周りの整理が進んで・・・の風さん」
 庭の梅の木に実がたくさん成っている。昨年はなぜか一つもできなかった。豊作になると、ワイフのサロンに集まって来る人たちが喜んで摘んでいく。
 昨日は日中の予想最高気温が30℃だった。なので、屋外作業は午前中で終え、暑い時間帯は昼寝していたので、暑さはほとんど感じなかった。また、明日から二日間、雨が降りそうなので、今日も屋外作業をできるだけやっておかなければならない。
 先ずは捨てる準備だ。中身の分からないガラス瓶があり、栓抜きで蓋を開け、中身を廃棄。同じく中身の入っているスプレー缶がたくさんあって、穴を明けて中身を出した。最後に水洗いして、日に干した。
 裏の土地の草刈りを電動草刈り機でやったのは、雨後の成長をできるだけ抑制しておきたかったから。
 物置を分解して生じた鉄のゴミは、回収業者へ電話して引き取りに来てもらうようにお願いした。
 少し昼寝した後、回収業者がやってきた。大型トラックから降りてきたのは、中国人の若夫婦のようだった。電話応対もここでのやりとりも、すべて奥さんが担当していた。旦那とおぼしき男性は、まじめに黙々と作業。絶妙のコンビだろう。しかし、勝手に想像するに、日本での暮らしを求めていても、こういった仕事しかないとすると、気の毒だ。これから働き手がどんどん減っていく日本である。彼らに有利なスキルを持たせ、少なくとも平均的な生活ができるようにしてあげるべきだと思う。
 すべての鉄くずを荷台にのせ終って、トラックは裏の土地から出て行ったが、無口だった旦那は、初めてそこで「ありがとう」と言った。私は手を振って見送ったが、伝わっただろうか。
 今日は、あと気になっていた雑務を積極的に処理した。
 私の奮闘ぶりに刺激を受けたのか、日が暮れてからワイフが庭の草むしりを始めた。まもなく、書斎に飛んできた。なんと、草むしりのあと、つる草の処理までやっていて、駐車場のセンサーライトの電源コードを切断してしまったという。ショートして火花が出たそうだ。しきりに電源コードの切断を謝っていたが、幸い、怪我はなかったので、切断などすぐに修理できると慰めておいた。

4月24日(火)「特殊雑務が多い・・・の風さん」
 午後から雨の予報なので、朝食後すぐ屋外作業へ。家の周囲の整理ではない。車庫のセンサーライトの電源コードの修理だ。
 切断時、ショートして火花が飛んだそうだが、屋内でブレーカーが切れることはなかった。しかし、ライトが過電流で切れていないか心配だった。2個あるライトのうち1個は、ガラスが少し曇っている。
 専用工具はないが、カッターとプライヤーを駆使して被覆を除去し、銅線をしっかりつないで、ビニールテープでぐるぐる巻いた。屋外コンセントにつなぐと、2個ともランプが点灯したので、やれやれ。
 その勢いで、屋内でも気になっていた機器を片づけた。ケーブルテレビがキャンペーンで設置した衛星放送受信用の機器が、契約解除後も引き取りに来ないので、自分で外すことにしたのだ。ブースターとテレビの間に設置してあったので、地上波デジタル放送用のケーブルを直接つないだ。掃除もして完了。やれやれ。
 今日は、歩く電気屋さんをやって、これで特殊雑務は終了。
 あとは、本来の仕事……だけをやっていればよかったのだが、夜、また異常対応をすることに。
 ワイフはたまにしかPCを使わない。毎回とりあえずなので、OSの更新やセキュリティプログラムのインストールをやらない(悪意のあるメッセージのような気がして怖いからだ)。それらがたまっていたため、作業を開始したら、これらソフトのダウンロードとインストールがバックグラウンドで始まってしまった。こうなると、本来の作業がサクサクとはいかないのである。
 対応のために出動したが、寝るまでに終わりそうもなく、ほったらかしにしておくことにした。

4月25日(水)「児童書のプロットが前進・・・の風さん」
 ワイフを駅まで送るため早起き(普通の人にとっては全然早起きとは言えない時刻)。
 空はどんよりしていて、これから急速に晴れて行くらしい。
 昨夜不調のワイフのPCをチェックすると、OSのバージョンアップもセキュリティソフトの更新も無事終わっていて、ドライブのデフラグだけが残っていた。実行命令を下して、しばらくのち、長女の部屋へ行ってみると、これも問題なく終了していた。懸案事項の一つが解決した。
 それほどの睡眠不足ではないが、やや頭が重い。何とか頑張って雑務処理を進めた。
 昼になったが、依然として頭は重いし、腰も少し痛い。昼食を摂る気にもなれず、リビングのラグの上で、腹筋運動をしたり腕立て伏せをしたり、ゴロゴロしながらウトウトしていた。
 突然クロネコがやって来たので飛び起きた。外は快晴。
 すると、昼食を摂る意欲が出て来て、超辛いインスタントラーメンを作って食べたら、元気が出てきた。
 その後、書斎へ行き、ここしばらく悩み続けていた児童書のプロットの続きを始めた。実在した人物を物語の中へ入れ、改めてプロットを書き始めたら、どんどんできる。
 やはり鳴海風は、100%フィクションでなく、史実を前提にした物語を考えるのが自然らしい。
 結局、午前1時まで、プロットを書き続けた。それでも最後まで書けなかった。構想は色々と出てくるが、明日も朝が早いので(私にとっては)、中断して寝ることにした。でも、気分は最高。

4月26日(木)「エアコン難工事・・・の風さん」
 昨夜、プロットにめどがついたので、出版社との打ち合わせ日程の調整を始めた。とんぼ返りの上京で、できるだけスケジュールをこなそうとすると、複数の人間の時間調整が必要である。とりあえずメールで打診開始。
 その後、週一のリハビリに出かけた。夏までに完治させたいので、最近は、家でも毎日左肩を動かしている。しかし、ぐんぐんよくなるという感じではない。頑固な五十肩だ。
 帰りにホームセンターで買い物をして帰った。
 今日は玄関のところに設置してある物を外した。リフォーム前にやることがたくさんあるが、少しずつだ。それでも、ネジを外すのが、かたくて大変だった。
 昼食後、プロットの続きを……と思ったら、町の電器屋さんから電話があった。今から行きます、という。書斎のエアコン設置工事である。明日で調整したつもりになっていたので、あわてたが、対応することにした。
 新築してすぐ取り付けたクーラーをエアコンに交換するのだが、室外機への配管がべらぼうに長い。これが電器屋さんの悩み。私の悩みは、書斎が物で高密度になっていて、片付けるのが大変なこと。
 途中休憩をはさんで、配管の途中までやるのが精一杯だった。私はずっと立ち会っていて、余裕のあるときに、また裏の土地の電気草刈り機でできない部分を、手で刈った。
 出版社との打ち合わせ日程の調整は順調に進み、候補日が絞り込まれた。あとわずかだ。
 入浴後、プロットの続きをやった。ますます調子が出てきたが、徹夜するわけにはいかないので、午前1時半に就寝した。プロットもあとわずかだ。

4月27日(金)「ちょっと無理し過ぎたか・・・の風さん」
 午前中にプロットの続きを書き上げてエージェントへ送った。難航していた構想がまとまった。児童書とはいっても、人間としてのテーマが入っていなければならない。そういう意味で、これで構想はできた。来月中旬に打ち合わせて、出版社と合意できれば、あとは書くだけ。
 急いでインスタントラーメンを食べて、町の電器屋さんを待った。
 昨日の続きで、書斎のエアコンの配管工事の後半だ。2回折り曲げて、地上の室外機へつなぐので、大変である。私も2階の窓から手を出して少し手伝ったが、ここ数日の無理がたたってか、立ち合いがだんだん苦痛になってきた。
 小休憩後、やっと配管が終了した。続けて、長女の部屋の古いエアコンの取り外しだ。配管が2階から1階へ建物の内部を斜めに通っているので、配管は残して、本体と室外機を取り外してもらった。
 まだ依頼した工事は残っているが、今日はここまで。
 夕食までに、書斎と長女の部屋の後始末をしたが、めまいがしてきて、ついには吐き気までしてきて、もう限界だった。リビングのソファにぶっ倒れた。
 9時過ぎに空腹を感じたので、どうやら復活したらしいと思い、晩ご飯にしてもらった。じゅんさいの入ったワンタンが今夜のスペシャルだった。
 連休明け後の出版社とのスケジュールも確定したので、明日から、おとな向け小説のプロットが最重要課題となる。問題は体力かも。

4月28日(土)「終日頭が重い・・・の風さん」
 朝から何となく頭が重い。危なくなったら横になればいいのだ、と思って、とりあえず行動開始。
 屋外活動からだ。先日外した玄関ドア横の看板掛け(鉄製のドイツの古い町でよく見かけるやつ)のさび落としに挑戦した。電動ドリルにワイヤーブラシや砥石を取り付けてやってみたのだが、容易ではない。これは意外だった。半分くらいやったところで中断した。今後の方針は別途ワイフと相談だ。
 今夜から長女と次女が泊まりに来るので風呂掃除。ところが、水抜きが途中で減速し、排水口からオーバーフローするようになった。おかしい。
 午前中最後の雑務は書斎の掃除機がけ。荷物がかなり外へ出ているので、チャンスということで、カーペットを入念に掃いた。
 昼食後、相変わらず頭が重いが、たらたらでもやれることをやろうと書斎へ。
 しかし、ペースは上がらず。
 長女、次女が帰って来て、サプライズの結婚35周年を祝ってもらった。長男も書いてくれたメッセージをもらった。放任主義で育ててきたが、ちゃんと自分で成長しているようで安心。ワイフは感激。
 次女が風呂に入った後、私が入ったが、午前中の排水の不調がまた見られた。
 その後入ったワイフが、排水がおかしいというので、ベッドで寝る態勢になっていた私は、目が回りながら階下へ。排水の困難さが悪化していた。トイレ用のスッポンを持って来て、強制的に排水を促したが、ほとんど効果なし。
 ワイフが屋外の枡の中を心配するので、既に午前1時をだいぶ回っていたが、懐中電灯持参で外へ出てみた。
 枡のふたの周囲に水たまりができていた。オーバーフローしているのだ。
 やれやれ。明日の朝一番の仕事ができてしまった。

4月29日(日)「結局外で過ごすことに・・・の風さん」
 子どもたちが起き出す前に、屋外の枡の状況をワイフが確認した。私が出て行ったときは、基本的な診断結果が出ていた。道路の汚水マンホールへつながる最後の枡で既に停留していたので、その先で異常が起きているのだ。
 スッポンを使って出口にアタックしてみたが、効果なし。
 要するに、ここから最上流の枡までが、現時点の限界容量で、夜間にその容量を確保し、朝から、今回のように家族が増えて排水量が増えると、満タンになってオーバーフローするというわけだ。
 早速、下水道工事業者に電話で相談したところ、日曜日で職人が一人しかおらず処置が困難なので、明朝8時に来てくれることになった。
 日中、生活排水を流すのは危険である。午前中にワイフと今日の計画を立てた。最終的に、姉妹は近隣のホテルに一泊してもらい、私たち夫婦はお気に入りの銭湯に行ったあと、自宅で朝から職人を待つことにした。
 次女は既に、美容院と買い物に出かけていた。
 残った3人で常滑のめんたいパークへ行った。私と長女は初めてである。ここで昼食を摂り、このエンタメ系のめんたいこショップを楽しんだ。そして、予約した常滑市内のホテルに早めにチェックインした。昨夜来、入浴できていない長女がシャワーを浴びている間に、超寝不足の私たちが少し仮眠した。
 夕方になり、自宅の最寄りの駅で用事を終えた次女をピックアップし、全員帰宅。そしてすぐ、南知多町の人気のレストランへ向かった。これは以前から予約してあったのだが、昨夜のサプライズプレゼントのお返しにもなった。
 午後9時半ころ、娘たちをホテルまで送り、私たちは常滑イオンの端っこにあるマーゴの湯に行った。1年前リフォームの時に利用して以来である。ゴールデンウィーク中ということもあるのだろう、かなり遅い時刻にもかかわらずちびっ子がいた。男湯にお父さんと来ていた3歳くらいの女の子が元気で、屋内外の風呂で泳いだり潜ったりしていたのが微笑ましかった。こういう風景は日本の伝統で、欧米などでは、幼児虐待になってしまう。
 帰宅し、明日に備えて早めに寝たが、何が起こるか予想がつかず、不安を抱えたまま、疲労で眠りに落ちた。

4月30日(月)「長い一日・・・の風さん」
 ワイフに起こされて飛び起きた。もうすぐ水道屋さんが来る。昨夜は不安だったが、いったん寝てしまうと永眠状態になる私は、蓄積した疲労もあって、体内時計の目覚ましの効果もなく、爆睡状態だった。
 8時過ぎに2台の軽トラが到着した。何があっても対応するぞ、という意気込みが感じられた。
 朝のうちにワイフがまた枡の蓋を開けておいてくれたので、2人の職人さんがすぐに取り掛かることができた。
 ほどなく予想もしなかったことが起きた。汚水用の最後の枡と道路下のマンホールの間に、少なくとももう1か所、枡があるはずだ、と言われたが、私たちにその認識はなかった。
 怪しいのは門の裏の植え込みなのだが、表面からはそれらしい蓋は見えない。
 職人さんが調べている間に、私は書斎の書棚に行き、図面がないか探した。登記簿書類と一緒に見つかった。
 玄関が出ると、これまで未知だった枡が発掘されていた(笑)。中は汚泥がつまっており、シャベルでごっそり掬い取ると、汚水が流れ出した。上流から水道水を流すと、小川のせせらぎが復活した(笑)。
 最終的に、今回発掘された枡にかさ上げ用の円筒形の部品をコーキング剤で接着させ、今後の点検を容易にしてくれた。
 しかし、私が持参した図面と現地を照合すると、2つの問題が浮かび上がった。1つは、図面にあるはずの枡が実際にはないこと。もう1つは汚水用の配管に雨水用配管がつながれていたことである。どちらも手抜き工事であり、バブル真っ盛りのときの建築なので、下請け業者は超多忙だったに違いない。そして、工事依頼者のチェックもまた念入りにはされなかったということだ。品質や倫理に厳しい現代では考えにくいことだが……。
 ま、とにかく、予想外の短時間で修理が終わり、私は、娘たちを迎えに常滑のホテルへ向かった。途中、アクアに給油までできた。
 娘たちは突発のホテル滞在をエンジョイしたらしく、朝食のバイキングもしっかり食べたそうなので、私はホッとした。
 帰宅し、夫婦でやっと朝食を摂ることができた。当然、トイレも洗面所も思いきり(安心して?)使うことができた。
 一昨日から頭痛というかずっと頭が重かったので、ソファで横になった。睡眠不足を補えば治る症状だ。
 遅いランチをはさんで、夕方までに体調が復活した。
 たまっていた雑用を片付けている途中で、晩ご飯になった。
 明日から仕事のある長女のために、いつものように名古屋までアクアで送った。
 帰宅したのはちょうど午前零時である。それから風呂。排水の心配はない。
 実に長い1日だった。

2018年5月はここ

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